昭和22年、長く苦しい戦争が終わって1年8カ月が経ったある春の日、川原家は大阪から滋賀へ引っ越してきました。空襲で何もかも失い、戦後父・常治(北村一輝)の仕事もうまくいかずに大きな借金を抱えました。
そこで常治の戦友・大野忠信(マギー)を頼って滋賀県信楽へと転居してきたのです。忠信は戦地で負傷した際、常治に助けてもらったことがあり『命の恩人』として慕っていました。
ヒロイン・喜美子(戸田恵梨香、幼少期:川島夕空)は妹が2人居る川原家の長女です。次女の直子(桜庭ななみ、幼少期:やくわなつみ、少女期:安原琉那)は空襲の時、喜美子と手を繋いで逃げていたのですが、多くの人が逃げ惑う中、喜美子との手が離れてしまいとても怖い思いをしました。
そのため今でも夜泣きをしたり、時々かんしゃくを起こしたりします。喜美子はそんな直子や、まだまだ赤ちゃんの三女・百合子(福田麻由子、幼少期:稲垣来泉、少女期:住田萌乃)の面倒を見ながら家の手伝いをしていました。
信楽に転居してきたのは喜美子が9歳の時でした。小学校に編入しますが、同級生には貧乏であることをばかにされ、屈辱に耐える日々を送ります。
借金がある川原家は大変貧しく、食事は芋ばかりです。母・マツ(富田靖子)の着物をお金に換えるため、大阪へ行っていた父・常治でしたが、沢山の食材と共に見知らぬ男を連れて帰って来ました。
男は草間宗一郎(佐藤隆太)と言いました。大阪で暴漢に遭っていたところを常治に助けてもらいました。怪我をした草間を病院へ連れていくと、怪我は大したことはないが心の栄養が足りないのではないかと医者に言われます。又、どこか空気の良い場所でゆっくり養生することを勧められ、見捨てられない常治は信楽の家に草間を連れて帰ってきたのでした。
ただでさえ食料に困っている川原家に草間が居候しているため苦しさは増し、喜美子は早く元気になって出て行ってもらおうと考えますが、次第に打ち解け仲を深めていきます。草間との関わりの中で人としての分別を学びます。
又、教えてもらった柔道では礼儀を学びます。草間流柔道は喜美子にとって、その後の人生に無くてはならないものとなりました。
草間も、喜美子との関わりで励まされていました。草間には妻が居ましたが、満州から戻る際行方が分からなくなってしまいました。草間はずっと妻を探し続けていますが、周りからは「きっともう生きてはいないだろう」と言われていました。
しかし、喜美子だけは違います。「早く奥さんを見つけてあげないと、なかなか来ない草間さんにきっと怒っているはずだ」と生きている前提で話してくれたのです。
喜美子に力をもらった草間は、しばらくして川原家から旅立ちました。
喜美子は同じ年の忠信の息子・大野信作(林遣都、幼少期:中村謙心)と丸熊陶業の娘・熊谷照子(大島優子、幼少期:横溝菜帆)といつも一緒にて幼馴染となります。草間流柔道を一緒に習ったり、夢を話したりしながら5年の月日が流れました。
照子の口添えもあって、喜美子は中学卒業後丸熊陶業での就職が決まります。信楽で1番大きい窯元とあって、喜美子の今後の収入に大きな期待を持つ川原家。しかし、『若い女性』と言う理由で就職の話が無くなってしまいます。
喜美子には高校進学の話しもありました。成績優秀で絵の才能がある喜美子はぜひ進学するべきだと、担任が家にも訪問しますが、父・常治は「女に学問は必要ない」と進学は許しません。進学させられるだけのお金がないことも理由の1つでした。
常治は代わりに大阪で働き口を見つけてきます。みんなと一緒に信楽で暮らしたいと涙する喜美子でしたが、常治はそれを受け入れず翌日大阪へと旅立ちます。信楽の山で見つけた焼き物の欠片が喜美子の旅のお供でした。この欠片は喜美子にとって生涯のお守りとなります。
大阪では荒木さだ(羽野晶紀)を訪ねます。母・マツの遠縁の親戚との理由で常治にすがりつかれ、やむなく喜美子を受け入れた『荒木荘』の女主人です。荒木荘は食事付きの下宿屋です。
荒木荘には新聞記者の庵堂ちや子(水野美紀)、医学生の酒田圭介(溝端淳平)、市役所を辞め映画俳優を目指している田中雄太郎(木本武宏)が住んでいました。喜美子はここの女中見習いとして住み込みで働き始めます。
荒木家でずっと女中として働いてきた大久保のぶ子(三林京子)は、喜美子に厳しく仕事を教え込みます。草間流柔道で教えてもらった人を敬うことを大切に、喜美子は早朝から夜まで女中として働きました。自分の時間を使って絵を描くことが、喜美子の楽しみでありました。
喜美子は描いた物を使って荒木荘の中を彩ろうと工夫します。喜美子の作った物を見かけた大久保は、喜美子にストッキングの補修を持ってきました。大久保は次々に補修するストッキングをもってきて、次第に喜美子は寝不足になっていきます。
そうこうしている内に1カ月が経ちました。初めての給料をもらいますが、袋の中身は1,000円でした。大卒の給料が6,000円ほどと言われていた頃です。大久保から全部を任されるようになるまでは、見習いとしてお給料はこのままであることを知ります。
喜美子はあまりの少なさにがっかりしますが、お給料の全部を信楽の家に仕送りしました。
お給料は少ないがストッキングの補修は次々に来ることに喜美子は苛立ちますが、枕を相手に柔道をするとすっきりします。こうして喜美子は頑張りました。
実はストッキングの補修は、大久保が別で見つけてくれた内職でした。給料が少ない喜美子が他でも収入を得られるように用意してくれたのです。1足12円でした。
お給料が低くても、辞めずに文句も言わない喜美子を、大久保は認めていました。喜美子も大久保から引き継いで一人前になるまでは荒木荘で頑張ると心に決めます。信楽にも3年は帰らないと常治に話しました。
昭和30年、喜美子が荒木荘に来て2年半が経ちました。大久保は娘と一緒に奈良で住むため、喜美子に無事引き継いだ後、荒木荘を離れました。18歳になる喜美子は1人で荒木荘を切り盛りできるまでに成長していました。
下宿人の雄太郎は映画出演は1度きりで収入がありません。働きにも出ないので下宿代を半年も滞納していました。喜美子は自分の内職で稼いだお金を使って、雄太郎の下宿代が入らない分を賄っていました。
それでも少しずつ貯めてきたお金で学校に通うことを考えます。絵を描くことが好きな喜美子は、美術関係で荒木荘の仕事と両立できる学校を探しました。中でも『レノア美術研究所』という学校に夢を膨らませます。
いくつも賞を受賞している芸術家のジョージ富士川(西川貴教)が特別講師をする学校です。ちや子の勧めでジョージ富士川のサイン会に行けることになります。
ジョージ富士川に会い、来年から美術学校で学ぶ夢を伝えることができた喜美子。なんとそこには草間の姿もありました。久しぶりの再会を2人は喜びます。
再会した草間から、生き別れた妻が見つかったと聞く喜美子。良かったと喜ぶ喜美子でしたが、草間の表情は明るくありません。
実は所在が分かった妻は、別の男と大阪で店をやっていました。妻の居場所が分かってからも、遠くから見ることしか出来ずに過ごしてきた草間に、きちんと向き合った方がいいと話す喜美子は、教えてもらった草間流柔道を思い出していました。相手を敬いしっかりと向き合うこと、礼に始まり礼で終わること。
大切なことを教えてくれた草間だからこそ、乗り越えて欲しいと喜美子は思ったのです。
喜美子は草間と一緒に妻がいる店を訪ねました。妻も草間に気付きますが、互いに言葉は交わさないまま過ごします。やがて近所の別客が店を訪れ、会話を通して妻が妊娠中であることを知りました。草間はそっと離婚届だけ机において店を去りました。
喜美子が荒木荘に戻ると、常治から連絡がありました。母・マツが倒れたというのです。荒木荘には代わりに大久保が来てくれたため、喜美子は急いで信楽へと帰ります。
しかし、マツが倒れたというのは常治が喜美子を呼び戻すためについた嘘でした。マツは倒れるほどではありませんが体の調子が悪く、薬は百合子が病院へもらいに行ってました。薬代が払えないため、お金の話しは出来ない小さな百合子に取りに行かせていたのです。
川原家の借金は膨らんでいました。雇っていた兄弟にお金を持って逃げられてしまった上、仕事が不調な常治は、居酒屋の『あかまつ』に飲みに行くことが増えていました。お金が無いため毎回つけで帰ってきてしまいます。その支払いだけでも大変な額でした。
そんな父に反抗期の直子は反発を強め、川原家の家庭事情はかなり荒んでいました。常治は喜美子に帰ってきてもらうことで、立て直そうと考えたのです。大阪の荒木荘にも辞めると勝手に連絡してしまいます。
荒木荘の仕事にやりがいを感じ、学校に通う夢も持った喜美子は反発しますが、学校に通うことなど絶対に認めない常治とは分かり合えません。
喜美子は困っている家族を見捨てることも出来ず、自分の夢を諦めて信楽に帰ることを決めました。可愛がってくれた荒木荘の人々ともお別れをしました。
信楽に戻った喜美子は、反発する直子をなだめつつ、借金返済のため家計を立て直し始めます。借金を返すため、もう1度丸熊陶業で雇ってもらえるようお願いしに行きます。そして、社員食堂のお手伝いとして働き始めました。
社員食堂での仕事は、荒木荘での仕事に比べるとあまりにも簡単なため、喜美子は物足りなさを感じます。
そんなある日、絵付け火鉢の作業場を見つけました。素晴らしい絵付けに心を奪われた喜美子は家に帰って来てからも忘れられません。
会社側との折り合いがつかず出て行ってしまった絵付け職人に代わって、有名な日本画家の深野心仙(イッセー尾形)がやってきます。深先生と呼ばれていました。
絵付けをやりたい喜美子ですが、女ということもありなかなかやらせてもらえません。喜美子は社長と深野に頼み込み、なんとか絵付けをやらせてもらう了承を得ました。
しかし、それは1度きりの体験で認めてもらったわけではありませんでした。火鉢の絵付けで一人前になるには何年もかかることを知ります。家のこと、社員食堂の仕事をやりながら修行することはかなり難しいことが分かりました。
甘く考えていたことにショックを受けて家に帰ると、大阪からちや子が来ていました。雑誌記者に転職し、活き活きとやりたいことに向かって輝くちや子の話を聞いて、喜美子は泣き出しました。
絵付け火鉢に挑戦したいと思う喜美子ですが、一人前になるまでに何年も費やすことは出来ません。川原家を背負い、時間にもお金にも余裕がないのです。ちや子の話を聞くうちに、進みたい道を見つけられたのに諦めなければならない自分の境遇が、悲しくて悔しい気持ちでいっぱいになったのでした。
深野は日本の美しい風景を描く画家でした。若い頃はそれで賞を取ったり個展を開いたり、世の中から認められていました。しかし、戦争が始まり従軍画家として大陸を渡ることになります。そこで戦争画を描きました。
大変貧しかった幼少期は大好きな絵を描くことで何でも叶えてきました。お金はないけれど、欲しいと思ったものを描くと心が明るくなったのです。絵を描くことがとにかく楽しかったのに、戦争画では人が殺し合うところを描かなければならない。深野にその苦しさがいつまでも残りました。
戦争が終わっても絵を描く気持ちにはなれません。しかし絵付け火鉢に出会い、戦争が終わって豊かさを取り戻していることを実感します。絵を描けることがどれだけ幸せなことか感じながら、笑って絵付けをするようになりました。
そんな深野を知り、喜美子は弟子入りしたい気持ちを強めます。深野について行きたいと思ったのです。泣いてやりたかったとちや子に話した喜美子の姿を見ていた、マツ、直子、百合子は喜美子の道を応援します。
父・常治はなかなか承諾しませんでした。反対し続ける常治をどうにか説得しようと、マツも力になろうとしてくれますがうまくいきません。
そんなとき、常治はあかまつで深野と出会いました。一緒に飲んでいるうちに話題は喜美子のことになりました。常治のことを、喜美子の父親とは知らない深野は、絵付師の弟子入りを志願しているがすぐに諦めるだろうと話します。
これを聞いた常治は思わず、「そんな根性なしちゃう!」と反論し、翌朝喜美子の弟子入りを承諾しました。川原家の家計を考えると、賛成は出来なかった常治でしたが、喜美子を大切に想う気持ちは誰よりもあるのでした。
それから3年。21歳になった喜美子は修行の末、下っ端として認めてもらうまでに成長しました。そして、直子は東京での就職が決まり、川原家から巣立ちました。
照子は家業を継ぐため父の勧めのまま敏春(本田大輔)と結婚しました。敏春は若社長として、照子の父親と丸熊陶業を営みます。
事業拡大を図る丸熊陶業は、若手社員が3人入社しました。敏春の考えにより丸熊陶業内に開発室をつくり、新しい自社製品の企画・開発をするために集めた3人でした。絵付け火鉢の他に、主力商品となる生活用品を作る考えです。
又、敏春は喜美子を『信楽初の女性絵付師』として売り出し、火鉢の販売促進に繋げようとします。喜美子は自分で考えた新しいデザインの絵付け火鉢と共に、新聞取材を受けました。
その取材ではアイドル的扱いをされただけで、絵付師としてのこれまでや師匠である深野には触れておらず、丸熊陶業内で波紋を呼びます。
中でも、新しく開発室に入った十代田八郎(松下洸平)は喜美子に苛立ちを隠しません。
実は八郎の家には深野の絵がありました。祖父が大切にしていた絵でした。しかし戦争で食べ物に困った時、八郎は守り続けてきた深野の絵を闇市で売り、お米に変えたことで生き長らえた過去がありました。
丸熊陶業で深野に会えたことは、八郎にとって大きな出来事でした。記事が深野について触れていないことは、八郎には納得出来ないことだったのです。
この話を聞いた喜美子は、八郎が手放したという深野の絵を想像して描きました。そして、その絵を渡すため開発室の八郎を訪ねたことで、記事は喜美子にとっても不本意なものであったことが分かり、わだかまりが解けました。
その矢先、照子の父親で丸熊陶業の社長が病に倒れ亡くなってしまいました。代替わりで新社長となった敏春は会社の改革を考えます。その1つに絵付け火鉢の縮小があると、喜美子は照子から知らされました。
照子からの知らせはそれだけでなく、妊娠も伝えられました。喜美子は照子の妊娠を喜びました。
同じ頃、百合子が進学したいと喜美子に相談します。父・常治の反対は目に見えているため、喜美子にも同席して欲しいと頼みました。
喜美子の時と同様、担任が川原家を訪ねてきますが、常治は百合子の進学を認めません。絵付け火鉢が縮小されることは、常治の耳にも入っていました。厳しい家計事情と喜美子の今後の仕事に不安があるため、進学させられるだけのお金が無いことが理由でした。
絵付け火鉢が縮小されるタイミングで、深野は長崎の若い絵付師の元で弟子入りすると言います。まだまだ勉強するという深野について行こうかと、喜美子は悩みました。
深野の弟子達もそれぞれの今後を決め、旅立つと言います。
喜美子は考え抜いた結果、1人で丸熊陶業に残ることを決めました。そして、これからは1人で担っていくことを理由に、会社へ昇給を直談判します。
条件を飲んでもらった喜美子は常治の承諾を得て、百合子の進学を決めました。
そんなある日、開発室を訪ねた喜美子は、作陶する八郎の姿に目を奪われます。八郎は社長に承諾を得て、仕事が始まる前と終わった後の時間を使って、陶芸の作品作りをしていました。社長は八郎の才能を買っていました。
八郎から陶芸に対する想いを聞いた喜美子は、陶芸に心惹かれていきます。朝と仕事終わりの時間、陶芸を学ばせて欲しいと八郎に頼み込みました。1つ1つ教わりながら、喜美子は夢中になっていきます。
陶芸を教えてもらうことを通し、共に過ごす2人は次第に惹かれ合っていきます。
市役所に勤めている信作は、『お見合い大作戦』という企画をしました。集団でお見合いをする企画です。喜美子や八郎も参加するように言われますが、喜美子は気が乗りません。
いよいよ当日になり、お見合い大作戦に行くと八郎から聞いた喜美子は、胸のざわつきを抑えられずに八郎を追いかけました。好きだから行かないで欲しいと伝えます。
八郎もまた、同じ想いでした。「抱き寄せてもええですか?」と、喜美子を抱きしめる八郎でしたが、そこに丁度父・常治が帰ってきてしまいます。
常治は八郎を殴り飛ばすと、喜美子を連れて家に帰ります。慌てて追いかけようとした八郎ですが、足を捻って動けません。
喜美子は、結婚したい相手だと常治に話しました。冷静になれない常治は反対します。それまで、率先して喜美子の婿探しをしていた常治でしたが、いざとなったら「嫌でしょうがない」とマツに言います。「おとーたん」といつも傍に居たかわいい喜美子を、父親として手放せずにいるのです。
怪我をした八郎の部屋を訪ねた喜美子は、一筋縄ではいかない常治の説得は自分がするから待っていて欲しいと伝えます。そんな喜美子に、これからは1人じゃないと八郎は言いました。一緒に頭を下げるから結婚しようと言ってくれたのです。
それから八郎と喜美子は毎日常治に会いに行きますが、なかなか話を聞いてもらえません。3回目以降はあかまつに飲みに行ってしまい、会ってももらえなくなります。
諦めずに何度でも訪ねてくる八郎を気に入った百合子は、約束をすっぽかしてばかりいる常治に腹を立て、多数決で決めようと言います。根気よく何度でも来ると八郎が言ってくれたこともあり、喜美子は大丈夫だと百合子に話しました。
喜美子は八郎の元で陶芸を学び続けていました。喜美子と八郎のことを知った照子は、2人の様子を見に来ます。臨月に入ったため、散歩がてら開発室を覗いたのです。
仲が良い2人を見て照子は喜美子の幸せを喜びました。照子も丸熊陶業を背負って生きてきたため、喜美子の気持ちがよくわかります。川原家を背負ってきた喜美子の負担を減らしてやって欲しいと八郎に頼むのでした。
その時、照子の陣痛が始まります。八郎は社長を呼びに行き、喜美子はそのまま出産を手伝います。
川原家では、喜美子の帰りが遅いことを常治が心配していました。毎日訪ねて来ていた八郎が来ないことも不安に思います。
実は常治もマツとの結婚を反対され、駆け落ちした過去がありました。常治にはマツとのささやかな夢がありましたが、仕事もうまくいきません。マツを幸せにしたい常治でしたが、苦労ばかりかけてきたことを後悔していました。
照子の出産が無事に終わり、喜美子と八郎が川原家に戻りました。駆け落ちしたわけではないと分かった常治はほっとして、八郎を受け入れました。そして、結婚の条件を伝えます。
陶芸家になる夢を持っている八郎に、夢は諦めて欲しいということが条件でした。常治の経験と後悔が、その条件を生みました。夢は追わずに堅実に働き、喜美子を幸せにして欲しいと思ったのです。
常治の父親としての気持ちも分かる八郎は、その条件を飲もうとしましたが、喜美子は納得しませんでした。八郎の夢を一緒に叶えたいと思っていたのです。涙ながらに八郎の夢をこれからも追わせて欲しいと訴えます。
喜美子の訴えに心動かされた八郎は、夢に対する想いを常治に話し、喜美子と一緒に夢を見させて欲しいと頼み込みます。
八郎が陶芸展で受賞したら受賞祝いと結婚祝いをしてやると、常治はやっと2人を許しました。
それから朝と夕、八郎は陶芸展に出品する作品作りを始めました。喜美子は隣で陶芸の土と向き合います。八郎は喜美子が隣にいてくれるだけで十分でした。
年末が近づいた頃。なかなか思うように自分の色を出せずにいる八郎に、若社長の敏春は年末年始の休みも開発室を使って良いと言ってくれます。休みの日も作品作りに没頭する八郎を喜美子は心配しました。
八郎を気晴らしさせようと喜美子は連れ出し、信作の家を訪ねます。信作の家は大野雑貨店を閉めて喫茶店へと生まれ変わります。丁度訪ねてきた八郎に、喫茶店で使うコーヒー茶碗を作って欲しいと頼みました。
納期が年明けだったため、作品が完成していない八郎の負担を喜美子は心配します。そこで、喜美子は自分にも半分作らせて欲しいと八郎に頼みました。
まだまだ陶芸を始めたばかりの喜美子には大変な作業でした。しかし、喜美子は夜通し作陶を続け完成させます。焼く段階でいくつか割れてしまい、作り直しになってしまいますが、喜美子はもう一度挑戦します。そして、お詫びに絵付けもしました。
喜美子の絵付けを信作の母・陽子(財前直見)は喜んでくれました。始めて自分の陶芸が形となって人の手に渡ったことに、喜美子は大きな喜びを感じました。
喜美子の手伝いもあり、大野家のコーヒー茶碗作りと作品作りを両立させた八郎は、ついに出品作品を完成させます。敏春も納得の作品でした。
喜美子も入選は間違いないと確信します。そんな喜美子の様子をみていた常治は喜美子と八郎が住む部屋を増築する手配をしました。口では色々行ってる常治でしたが、心の中では喜美子と八郎の幸せを願っているのです。
3月30日、いよいよ入賞作品が発表される日がやってきました。八郎の作品は『新人賞』を受賞しました。無事結婚も決まり、受賞を聞きつけた信楽の人々が川原家へお祝いに駆けつけました。
昭和40年夏、喜美子は27歳になりました。八郎との間には息子の武志(伊藤健太郎、幼少期:又野暁仁→中須翔真)が生まれ、4歳になります。受賞した八郎は丸熊陶業から独立して『川原工房』を開きました。喜美子もそこで陶器製品を量産して家計を支えています。
父・常治ですが、増築の支払いをするため長距離の運送を始め、かなり無理を重ねてきました。体の調子が悪い常治は家族には内緒で病院を受診します。そこで余命宣告を受けますが、誰にも言いません。
たまたま病院で常治を見かけた照子は、常治の現状を喜美子と八郎に伝えます。喜美子を始め、家族みんなで病状を知るが、常治の前では何事もないように振舞いました。
常治はマツと一緒に温泉旅行に行きます。大阪でマツの実家のお墓参りをし、ずっと疎遠になっていたマツの親戚にも頭を下げ、それから温泉に向かいました。常治が何年分も笑わせてくれたと、返ってきたマツは喜美子と百合子に話しました。
食事量も減り、どんどん弱っていく常治を見て、喜美子は大皿を作りました。そこに家族みんなで絵付けをします。それぞれ絵や言葉を絵付し、家族の手作り大皿が完成します。
大野家のみんなが訪ねた夜、家族の大皿を常治に見せました。常治は喜美子の頭を撫で、そのまま静かに息を引き取りました。みんなに見守られた中での最後でした。
常治の葬儀が終わり落ち着いた頃、ジョージ富士川が信楽で実演会を行うことを知ります。是非参加したいと楽しみにしていた喜美子でしたが、当日武志が熱を出し看病のため家に残ります。
しかし、八郎の計らいでジョージ富士川が川原家を訪れます。そして、即興の実演会が開かれることになりました。照子達も集まって、皆で絵具だらけになりながら楽しみました。
その姿に刺激を受けた八郎は、その後作陶に励みます。そして、その作品で今度は『金賞』を受賞しました。
昭和44年1月。陶芸展で金賞を受賞した八郎は、順調に個展や注文製作を行っていました。そんな中、八郎が銀座で個展を開くことが決まります。自分で納得出来る作品を産み出せずにいた八郎はプレッシャーを感じます。
そんな時、美大出身の若者・松永三津(黒島結菜)が弟子にして欲しいとやってきます。陶芸家になりたい三津ですが、『女』という壁を乗り越えられずどこに行っても、弟子入りは断られ続けてきました。
三津は全国を巡って陶芸を学んでいました。それぞれの土地の土を知り、色を出すためにはどんな物が有効か、全国を回って様々な素材を集めました。
創作の壁にぶつかっている八郎の良い刺激になるのではないか…と考えた喜美子は、三津の弟子入りを後押しします。個展準備で余裕のない八郎でしたが、受け入れることを決めました。
八郎を支えたいと思う喜美子ですが、隣で才能溢れる作品を産み出す喜美子の存在は、八郎にとって心を揺らがされるものでした。喜美子は八郎を想って個展の開催を中止したらどうかと提案しますが、八郎は答えを濁したまま受け入れません。
一方三津は自分が見てきたものを踏まえて、無邪気な意見で八郎の背中を押します。個展では和食器セットを販売してはどうかと三津は提案し、東京へ滞在した時の話を八郎にしました。三津の提案を聞いて八郎は前向きになります。
和食器セットを絵に描いて談笑する2人の仲の良さに、喜美子は居心地の悪さを感じました。八郎と三津の親密さが気になる喜美子ですが、家計で八郎を支えようと受注した200枚の小皿を作り始めます。
その後東京へ下見に出かけた八郎でしたが、信楽に戻ると大野家の喫茶店に喜美子を呼び出しました。そこには、ジョージ富士川の姿がありました。
大阪へ旅立つ前に拾った焼き物の欠片を、今でもお守り替わりに持っている喜美子でしたが、その欠片にジョージ富士川が興味を持ちます。ジョージ富士川は欠片を見て、薪の炎と灰によって出された色だと言います。喜美子はこんな色を出したいと思いました。
200枚の小皿の作陶が終わりましたが、電気窯が壊れて焼くことが出来なくなってしまいます。照子のおかげで丸熊陶業の電気釜を借りることが出来、難は逃れましたが今後について喜美子と八郎は話し合いました。
八郎は喜美子が薪を使って焼く、穴窯に挑戦したいことに気付いていました。この故障をきっかけに穴窯の建設を提案しますが、穴窯をやるには膨大なお金がかかるため、喜美子は躊躇しました。
そんな喜美子に「今やりたいことに挑戦すべき」と、八郎は背中を優しく押しました。
八郎の後押しもあり、穴窯を建設することを決めた喜美子。窯の完成を照子ら仲間たちも喜んでくれました。
喜美子は学んで計算した結果、目標温度を決めて3日間焚き続けることにします。1人でやるという喜美子の体を想って、八郎は三津を含めた3人でやろうと言います。
いよいよ火入れをし、薪を入れ続けますが目標温度へなかなか到達しません。目標温度へ到達しないまま3日が過ぎ、薪も残りわずかになりました。焦った喜美子は八郎に相談しようと工房を除きます。そこには作業台にもたれかかったまま、寄り添って眠る八郎と三津の姿があり、喜美子は動揺します。
炎の前に1人戻り、懸命に窯焚きを続けるとなんとか目標温度へ到達することが出来ました。
しかし思うような焼き色は出ず、失敗に終わってしまいました。
周囲から喜美子の穴窯を止めるように言われた八郎は、一旦穴窯を中止して陶芸展での入賞を目指すように提案しますが、喜美子は再度チャレンジしたいと頼み込みます。
そして2度目の窯焚きにチャレンジしますが、これも失敗に終わります。
喜美子は諦めずに3度目の窯焚きに向けて改善点を考えますが、武志のための貯金を少し崩そうと考える喜美子に八郎は賛成できません。薪は拾って来た物を使って、その分節約すると言い喜美子は窯焚きに向けての準備を始めのてしまいます。経済的負担に理解を示さない喜美子を見て、八郎は武志を連れて家を出てしまいました。
同じ頃、八郎への想いが膨らんでしまった三津が、弟子を辞めて川原家を出ます。
2度の失敗を踏まえ、改善点を見出し3度目の窯焚きを実行しますが、またも失敗に終わります。ショックを隠しきれない喜美子を気遣って、百合子は大阪行きを提案しました。
喜美子が迎えに行くことで川原家に戻った武志を連れて、大阪のちや子を訪ねました。そこで荒木荘の懐かしい人々と再会し、元気をもらった喜美子は、借金をして4度目の窯焚きに挑戦することを決めます。
改善点を考え抜き挑戦する窯焚きですが、その後失敗は6回に及びました。喜美子は何度失敗しても諦めずに試行錯誤し、ある仮説に辿りつきます。それには2週間焚き続けることが必要でした。
2週間焚き続ければ、窯がもたないことが懸念されます。喜美子が心配な八郎が会いに来ますが、感謝と決意を伝えて7度目の窯焚きに踏み切ります。
草間が励ましに訪れたり、照子が差し入れを持ってきたり、周りの人々に支えられる喜美子。百合子や信作も交代で薪入れをしてくれます。
心配された通り1部窯が崩れますが、喜美子は怯まずに炊き続けました。そしてついに求めていた色に焼き上げることが出来ました。
昭和53年、40歳になった喜美子は女性陶芸家として認められ、作品が高値で売れるようになります。そのおかげで借金は返済し、高校2年生になった武志とマツと3人で暮らしていました。
百合子は信作と結婚し、大野家に嫁ぎました。そして八郎は名古屋に移り住んでいます。八郎と喜美子の別居は三津との不倫が原因じゃないかと噂されました。丁度家を出た時期が同じ頃だったために勘違いされてしまったのです。
喜美子との溝も埋められずにいた八郎は、噂による居辛さもあり信楽を離れたのでした。喜美子は離婚届を八郎に送りました。
八郎は離れて暮らしている間もずっと、武志のためにお金を送り続けていました。又、信作に頼んで手紙を渡してもらい、武志とやり取りをしました。
八郎からのお金を使わせてもらい、武志は八郎が卒業した京都の美大に進学します。武志も陶芸家になりたいと考えていました。進学が決まり、これまで八郎とやり取りしてきたことを武志は喜美子に話しました。父親として、お金や手紙で武志を支え続けてくれたことを感じました。
武志が大学へと旅立ち、マツと2人暮らしになった喜美子でしたが、すぐにマツが亡くなってしまい1人暮らしになりました。
マツが亡くなったことを知った八郎が手を合わせるために、川原家を訪れます。久しぶりに顔を合わせる喜美子と八郎はぎこちなさを感じながらも、武志の話をしました。
武志が進学してから3年半が経ちました。在学中は帰らないと言った武志が卒業を迎え、信楽に帰って来ました。大学で出会った恩師の下で学ぶため、信楽の窯業研究所に通うことを決めます。自立するため、アパートを借りて一人暮らしをしようと思っていることを喜美子に伝えました。
そんなある日、武志は八郎が受賞した作品を見せてもらうために信楽へ呼びました。今日の内に名古屋へ戻ると言う八郎を武志が引き留め、川原家に泊まることとなります。
久しぶりに3人で過ごすことに、武志は子どものようにはしゃぎました。喜美子は自分の気持ちを大切にする意味でも、八郎に他人行儀な態度をやめて前みたいに仲良くやろうと話します。新しい形の家族関係を作りたいと考えている喜美子でした。
この日から、離れて暮らすもののもう一度家族としての関係を大切に過ごすようになります。たまに3人で川原家に集まって食事したりすることもあり、穏やかな時間が流れました。
ある時から武志の体調不良が続くようになります。風邪を引いたきり体調が思うように戻らず、貧血気味なのです。武志の体を気遣う喜美子ですが、武志は大丈夫だと言って取り合いません。
しかし体調の異変を感じていた武志は、病院で精密検査を受けることにします。喜美子も一緒に病院へ行きました。
担当医は大崎茂義(稲垣吾郎)でした。検査結果を聞きに再び病院を訪れると、喜美子だけが診察室に呼ばれました。そして大崎から武志が白血病であることを告げられます。
薬の投与から始めるが体調は次第に悪くなり、最後は入院生活になることが伝えられました。喜美子は武志の病気のことで頭がいっぱいになってしまいます。
病名は喜美子だけが知り、武志にも伝えずにいました。変わらずに元気に振る舞う喜美子ですが、時々不安に襲われます。
昭和59年正月、武志や八郎、百合子の家族らが集まり賑やかに過ごしました。そこで武志は、以前深野から届いた絵葉書を目にします。かつて八郎が作陶の中で出したいと願った、綺麗な青色で描かれた葉書でした。
武志も自分の作品にこんな色を出せたらと夢を描きました。
武志とたこ焼きをするため、アパートを訪ねた喜美子は『家庭医学書』を見つけます。白血病のページには付箋があり、読み込んでいる様子でした。
自分の病気に気付いてることを悟った喜美子は、武志と病気について話しました。同時に母親として病気と向き合っていく覚悟も決めます。武志は誰にも知らせないで欲しいと喜美子に頼みました。
治療に挑むことにした武志は、入院することを決めます。喜美子は武志には内緒で八郎や照子などの家族や仲間に骨髄移植のドナーになれるか検査をして欲しいと頼みました。
武志も病気と向き合う覚悟が出来ると、皆に周知してもらうことにも前向きになりました。そして、いつもと変わらない1日を過ごしていきたいと願います。
武志を側で支えたいと思う八郎は、仕事を辞めて信楽に戻ることを考えます。しかし、武志の願いを喜美子が伝えることで思い止まりました。今までと変わらない毎日を武志と共に過ごすことにしたのです。
武志の友人も協力してくれたことで、大勢の人々が検査をしてくれましたが、ドナーは見つかりませんでした。喜美子も武志も、後ろ向きになることなく皆に感謝しました。
大崎と相談し通院治療に切り替えた武志は、アパートを引き払って川原家で暮らすことにしました。残りの人生を陶芸にかけようと、作陶する日々を過ごします。
何度も何度もチャレンジして、やっと深野の葉書のような作品を作ることが出来ました。
その作品から音が聞こえてくることに気が付きます。本焼きした陶器にひびが彩る時、小さな音が聞こえます。その音から作品が『生きている』と感じた武志は勇気をもらいました。
味覚が失われ、食欲を失っていく武志でしたが、喜美子と一緒に作陶する穏やかな日々を過ごしました。小さかった頃のように喜美子は武志を抱きしめ、お互いにこの穏やかな幸せを噛み締めます。
それから2年後の昭和62年、武志は26歳の誕生日を前にしてこの世を旅立ちました。武志の作品は見る人に感動を与え、今も生きています。
八郎は名古屋の家を引き払い、長崎で軽くて薄い磁器について学ぶことにしたと喜美子に伝えます。それを聞いた喜美子は、武志に「絶対に死なせない」と言ったことを明かしました。無理だとわかってはいたものの、なんとかしてあげたかったと反省と無念な思いを口にします。
それを聞いた八郎は、武志は「俺を生んでくれてありがとう」と言っていたことを伝えます。そして、また会って話をしようと励ましました。
喜美子が工房で作陶していると、照子が家庭菜園の野菜を持ってやってきます。いつもの仲間に囲まれながら、日常が流れます。そして喜美子はまた、穴窯での窯焚きを続けるのでした。
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